
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが行なったコンサートを活写したドキュメンタリー『パワー・トゥ・ザ・ピープル:ジョン&ヨーコ・ライヴ・イン・NYC』

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。
●アーティスト名、地名を含む諸々の表記は、筆者の原稿どおりにしています。
●本記事は『Stereo』2026年7月号に掲載されたものです。

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...
ニューヨーク移住後のジョンへの関心は薄れていたが…
この号(「ステレオ」2026年7月号)が出るころには劇場での上映はもう終わっていますが、『パワー・トゥ・ザ・ピープル:ジョン&ヨーコ・ライヴ・イン・NYC』(Power To The People)のことをどうしても書きたいのです。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが1972年8月30日に、ニューヨークのマディスン・スクエア・ガーデンで行なったコンサートの記録映画です。このコンサートの模様を含むCDのボックス・セットが昨年発売されたのでご存知の方も多いかと思います。

ユニバーサルミュージック¥38,500
個人的な話になりますが、ビートルズが解散した1970年にはさまざまな音楽を聴くようになっていて、彼らのことにはさほど気を配っていませんでした。ジョンの最初のソロ・アルバムの第一印象は生々しすぎて煩わしい感じでした(後に愛聴盤になりましたが)。
ポール・マカートニーの方は「メイビー・アイム・アメイズド」を除けば特に引っかかるところはなく、ジョージ・ハリスンの「オール・シングズ・マスト・パス」に至っては3枚組なので当時は聴こうともしなかったのです。もちろん後悔しますが、限られた可処分所得しかない19歳の若者の優先順位はそんなものでしょう。
かといって、ジョン・レノンが出した一連のシングル盤は全部好きでした。「コールド・ターキー」、「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、「インスタント・カーマ」、買ってはいなかったけれど、ラジオで何回も聴いて体に原始的なロックンロールの直撃を感じるものでした。71年に出た「イマジン」は当時から好きなアルバムで、ビートルズ離れをしていたぼくもよく聴いていました。
ジョン・レノン:イマジン
その後、ジョンとヨーコはイギリスからニューヨークに移住しました。インタネット時代の今と違って話題はそれほど聞こえてこなかったし、新しい音楽を次々と貪欲に吸収しようとしていたし、72年に発表された「サム・タイム・イン・ニューヨーク・シティ」というアルバムは真剣には聴いていませんでした。バックを務めるエレファンツ・メモリーというバンドは今一つよくわからず、また曲のタイトルからしてかなり政治的な内容のようで、ヨーコと連名になっているし、当時のぼくが関心をもつ対象にはならなかったのです。
社会活動への関心から子どものためのチャリティコンサートへ
なぜこんなことを長々と書くかというと、「Power To The People」を観ていて印象ががらりと変わったからです。画面に映るジョン・レノンは実にカッコよく、またエネルギーとやる気に溢れています。
映画『パワー・トゥ・ザ・ピープル:ジョン&ヨーコ・ライヴ・イン・NYC』予告
これまでにいくつかのドキュメンタリー映画で、ジョンたちがニューヨークで過ごした70年代のことが語られています。街を歩くことすらできなかったイギリスと違って、グレニッジ・ヴィレッジのアパートに住んでいるときは普通に買い物に出ても誰も邪魔しないニューヨークが大いに気に入って、ジョンは水を得た魚のように創作意欲が沸いたようです。
元々、社会のことに関心があった彼は活動家のジェリー・ルービンなどと気が合って、ヴェトナム戦争反対の運動に関わったり、自分が不当だと感じることに抗議する行動もとりましたが、そうするとニクソン政権の当局に睨まれ始めました。アメリカの投票年齢が18歳に下げられた直後で、ニクソンが再選をかける72年の大統領選挙でジョンが若者に不都合な影響を及ぼすのではないかと、過去にイギリスでマリファナ所持で逮捕されたことがあるのを理由に彼を国外退去させようと動き出したのです。
そんな中で開催されたのが、この「One To One」と名付けられたコンサートでした。ABCテレビでニュース番組の記者だったヘラルド・リベーラは、ウィローブルックという知的障害をもつ子どものための学校の劣悪な状況を取材していて、それを改善すべく資金集めのためにこのコンサートを企画しました。
50年超を経て「One To One」コンサートを観て
この公演は、ビートルズ解散後にジョン・レノンが行なった唯一のちゃんとしたコンサートなのです。ビートルズのライヴ活動は1966年8月に終わっているので、それ以降のレパートリーはステージでは演奏されたことはなかったわけです。
マディスン・スクエア・ガーデンでは、途中で「1回だけ過去に戻る」と言って「カム・トゥゲザー」を歌いますが、その存在感は凄まじく、歌詞がほとんどナンセンスなのに、「カム・トゥゲザー、ストップ・ザ・ウォー」を叫ぶとき、ニクソン政権の懸念がわかるような気がするほどです。「コールド・ターキー」や「インスタント・カーマ」、また「マザー」や「イマジン」もライヴで披露するのはここだけです。
常にそばにいるヨーコはエレクトリック・ピアノを弾き、彼女が歌う曲は当時だったら正直なところ辛かったと思いますが、50年以上経った今見ると彼女が後のパンク・ロック時代の女性像を先取りしているようにも見えます。
エレファンツ・メモリーはしっかりとしたロックンロール・バンドで、特にリーダーだったサックスのスタン・ブロンスティーンの演奏は力強くてゴキゲンです。また、ドラムズでジム・ケルトナーが追加されているのが素晴らしい隠し味になっています。アンコールの「ギヴ・ピース・ア・チャンス」では、このコンサートに出演していたスティーヴィ・ワンダー、メラニー、シャ・ナ・ナのメンバーやヘラルド・リベーラも出てきて大勢で延々と盛り上がります。
急きょ発表された劇場上映は1か月限定で、その後の展開はこの原稿を書いている時点では把握していませんが、配信もあるでしょうし、願わくばDVDなどが発売されると嬉しいです。とにかく極めて貴重な記録なので、ぜひ多くの人に観てほしいです。





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