読みもの
2024.11.16
ブルックナーの知られざる素顔 その3

とんでもない大酒飲みだったブルックナー

2024年に生誕200年を迎えるオーストリアの作曲家、アントン・ブルックナー。その作曲家像に迫るべく、大井駿さんが人となりにまつわるエピソードを4つのテーマから掘り下げていきます。
第3回は、ブルックナーが大酒飲みだったことを紹介します! 一晩で飲んだビールの量やお酒の失敗談を知れば、ブルックナーに親近感がもてるかも……?

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

ブルックナーが足繁く通っていた居酒屋「赤いハリネズミ」、地下の写真。ブラームスも常連でした。
(©︎ Wien Museum)

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ブルックナーといえば、前の記事でご紹介した通り、自分に自信のない性格でした。自分の書いた交響曲がなかなか演奏されず、演奏されても批判にさらされ、昔に書いた曲も掘り起こしては、牛が反芻するように何度も書き直していました。

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しかし、ブルックナーはずっと内気な人だったのでしょうか……? 答えは、いいえです。

もちろん彼は音楽に対してひじょうに真摯で謙虚な人間でしたし、作曲する際は神に祈りながら、インスピレーションを乞うように作曲していました。ですが、作業机や楽器を離れれば、豪快に酒を浴びる大男だったのです! 今回は、ブルックナーの意外(?)な一面を紹介します。

食事は1日1回で果実酒を好んでいたブルックナー

ブルックナーは、学校の先生や、教会のオルガニストをしながら、コツコツと作曲活動をしてきました。生徒思いで、とても真面目な人間だった彼は、リンツでは修道院のオルガニスト、そしてウィーン音楽院やウィーン大学で教鞭を執るまでになり、社会的にはそれなりに尊敬される地位にいました。

どうやらブルックナーは1日1食の生活だったようですが、そのほぼ唯一の食事は、夜にとっていました。

特にリンツ時代は、職場の聖フローリアン修道院の宿「Zum Kaiser Max」のレストランで頻繁に食べており、彼のお気に入りはフレッケールシュパイゼという、地元の料理でした。そして、食事と一緒にリンゴやナシの果実酒を好んで飲んでいたそうです。

上:フレッカールシュパイゼ(©︎Kochen & Küche)
パスタとハムや挽肉を混ぜたもの。

左:ツヴェッチゲンパヴェーゼ
プルーンを使ったスイーツ。

ブルックナー:祖国のワインの歌、WAB 91(1866年作曲)

1860年代のブルックナー

ウィーンに移りお酒の好みにも変化が……?

しかし1868年、彼がリンツからウィーンへ行って、変わってしまった習慣がありました。

ご飯を食べたあと、もしくはそのあとに少し作曲に手をつけてから、ブルックナーは夜な夜な外へ繰り出しました。彼が向かうのは、上品なサロンや喫茶店、レストランなどではありません。地元の人たちが集まる、薄暗い居酒屋でした(ドイツ語ではSchankstubeといいます)。

ブルックナーはいつも22時ごろに店にやってきては、片手にビールを携え、同年代の人たちだけでなく若者とも会話を楽しんでいたそう。会話のテーマは、神に関すること、音楽に関すること、恋愛に関することなど、さまざまだったようですが、驚くべきは、そのビールの量。

証言によると、ブルックナーは普段、10パイントのビールを飲んでいたそう。1パイントは、およそ0.5リットルほどなので、ざっと毎晩5リットルは飲んでいたことになります。

しかも、これは一軒のお店で消費していたビールの量。ブルックナーは居酒屋を一人でハシゴしていたようですので、まぁとんでもない量ですね。ちなみに飲んでいたビールの種類は、ピルスナーのほぼ一択だったそう。

さらに驚くのは……もちろん彼は世捨て人ではありません。翌朝からは仕事をしなければなりません。しかし、彼はどれだけビールを飲んでも体調を崩すことがなく、仕事にはまったく影響が出ていなかったということなのです。

果実酒が好きなブルックナーは、どこへいってしまったのでしょうか。

1875年ごろのブルックナー

ワーグナーと飲みすぎて翌朝後悔

そんなブルックナーにもビールにまつわる失敗談があります。

1873年、ワーグナー信奉者だったブルックナーは、自分が書いた交響曲第2番と第3番を、ワーグナーになんとしてでも見てほしい一心、そして献呈したい一心で何度も手紙を書きますが、返事は一向に来ません。そこで、彼のいるバイロイト近郊のヴァーンフリートの家へ、アポなしで突撃します。

そしてワーグナーを見るなり、緊張しすぎて不器用にも「私が書いた交響曲2曲をみてほしい」と言うと、「忙しい、時間がない」と一蹴されます。しかし、ブルックナーは引き下がらず、スコアをワーグナーに渡しました。そのまましばらくバイロイトを散歩し、もう一度彼の家へ行くと、ちゃんとワーグナーはブルックナーの楽譜に目を通しており、嬉しいことに作品を賞賛されました! そしてブルックナーに、第3番の交響曲の献呈を申し出ました。

嗅ぎタバコとビールを嗜むワーグナーとブルックナー
(オットー・ベーラー作、1890年)

彼からしてみると、アイドルから賞賛されるなんて何よりも嬉しいことです。ブルックナーは家へ招き入れられ、饒舌なワーグナーと会話が弾みます。そこで彼に振る舞われたのは、大量のビールだったのです。極度の緊張と、人生最高の喜びが一度に押し寄せたブルックナーは、注がれるビールを次々に飲みました。

すると翌朝、彼はどちらの交響曲を献呈することになったのか、すっかり忘れてしまったのです! 焦ったブルックナーは、同席していた友人だけでなく、ワーグナー本人にもどちらの交響曲を献呈することになったのかを尋ねたのでした。

ちなみに、このときに泊まっていたホテル「Zum goldener Anker(金のイカリ)」は、今でも営業しています。

お酒で失敗しちゃうこと、あると思います。しかしそんなときこそ、筆者はブルックナーの交響曲第3番を聴きながら、水に流しています。

ブルックナーが一晩に注文したビールは9リットル!

とんでもない量のビールを飲んでいたブルックナー、正直信じられませんよね? 筆者も信じられませんでした。

何年か前に、指揮の師の演奏会を聴きにリンツへ行った際、そのまま古い居酒屋に行き、師と同門の友人とブルックナーの話に花を咲かせてビールを飲んでいました。すると店員が「音楽家の方ですか?」と聞くので、そうだと答えると、面白いものを持ってきたのです。

それは、ブルックナー卓。1パイントビール、18杯。と書かれた請求書でした。

ざっと9リットルを一晩で飲んだことになります。当時の店主はビールの量に驚いて保管していたそうですが、書いてある名前が大作曲家だと気づいたのはそのあとだったそうです。

筆者もこれには本当に驚きましたが、その請求書でテンションが上がった我々は、酒の肴にビールを大量に飲んだ結果、それがどこの居酒屋だったか全員忘れてしまいました。なのでここで紹介できないことをひじょうに悔やんでおります……ごめんなさい(笑)。

みなさんもピルスナービールを片手に、ブルックナーに乾杯しませんか?

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

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