シューベルトの生涯と主要作品
フランツ・シューベルトの生涯と主要作品を、音楽学者・堀 朋平が解説!
文―堀 朋平(音楽学者)
シューベルトの生涯
1.初期
生涯の友との出会い
作曲家としての資質を最初に育んだのは,1808年から13年まで学んだ王立の寄宿学校「コンヴィクト」である。音楽に重きを置く同校は合唱隊の他に優れたオーケストラを擁しており,シューベルトはまもなくこれを率いる立場に就いた。帝都の遺産は学外でも豊富な音楽体験を提供し,グルックの晴朗なオペラおよびハイドン,モーツァルト,ベートーヴェンの諸作が重要な基礎となる。卒業後,個人教授の師サリエーリとモーツァルトの音楽などを称えた一連の日記(1816年6月14~16日)では,古典主義と啓蒙主義に根差した若きシューベルトの芸術論が披瀝されている。その背景には,リンツに拠点を置く友人サークルの影響があった。生涯の友となるヨーゼフ・フォン・シュパウンやヨハン・マイアホーファーも関わったこのサークルは,古代の哲人から前世紀ドイツの啓蒙思想家まで,古典の思想および芸術を皆で学ぶことで,激情を排して国家に寄与する普遍的人格の形成を目指す「教化育成(Bildung)」の理念を若者に教え広めていたのである。交響曲第1番 D82(1813)や,生地の教区教会で初演されたミサ曲第1番 D105(1814)に聴かれる明晰さは,こうした背景からも理解される。
《魔王》~パトスへの衝動と古典的均整
だが他方で,全作品の目録であるドイチュ編《フランツ・シューベルト――その作品の時系列順,主題付き目録 Franz Schubert: Thematisches Verzeichnis seiner Werke in chronologischer Folge》(1978,初版は1951,ロンドンにて英語で出版)の冒頭数ページに掲載された諸作,例えば長大な苦悶の歌曲《ハガルの嘆き Hagars Klage》D5(1811)や,ソナタ形式の枠を逸したピアノ三重奏曲 D28(1812)をはじめとする室内楽といった最初期の作品は,あらゆる方向へ伸長しようとする作曲家の志向を既に雄弁に証している。終生で45曲にのぼる宗教音楽においてもシューベルトは,カトリック典礼音楽のほか,プロテスタントの祝典のために《ラザロ》D689(1820)を手掛け,新設のシナゴーグから委嘱されてヘブライ語で《詩編第92編》D953(1828年)を作曲するなど,音楽史にあっても異例の自由さを見せている。古典的境界を流動化させる「分かちがたい混淆」こそ「ロマン的芸術」の本質をなすものであるというアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルの議論(《演劇論講義》,1809)からすると,こうしたジャンル上の闊達さはロマン的傾向と呼ぶに値しよう。むしろ1814年の《糸を紡ぐグレートヒェン Gretchen am Spinnrade》D118や,翌15年の《魔王 Erlkönig》D328は,パトスへの衝動と古典的均整の両極が絶妙な調和を得た稀有な作例に属する。
作曲家としての自立の願いと現実との相克
1815年には4作ものオペラが手掛けられ,全作の4分の1近くに上る歌曲が作られた。翌年にはシュパウンの勧めによってゲーテに16の歌曲が献呈され,前世紀の名だたる詩人に基づく歌曲集を出版する方針も打ち出される。楽才はいよいよ多方面へと開花してゆくが,作曲家としての自立の願いと現実との相克という問題も迫っていた。コンヴィクト卒業後直ちに父の補助教員となったものの,この日常が創作活動に還元されることはなかったようである。ノヴァーリスは断章集《花粉》(1798)において,「ありふれたもの」と「高次のもの」が交流して互いに高め合う事態を「ロマン化すること」の構えとして称揚したが,シューベルトにとって単調な社会的現実は,詩的世界の対極にある「色あせた散文」(1825年7月21日の手紙)と映ることが多かったようだ。気乗りしないままに現スロヴェニアの音楽教師に応募するも徒労に終わる(25年と26年の就職活動についてもおよそ同様であったと推測される)。
友人たちのサークルにおける創作活動を重視
そんな中,1816年に父の家を出てフランツ・フォン・ショーバーの家族と暮らすようになったことが,自由の道を進む導きとなった。この同い年の親友は多才かつ魅惑的な人物でありながら,人生航路を定めることのない裕福な放蕩人である。この頃より徐々に,現実から遊離した別世界を賛美する詩が多く題材に選ばれ始め,その傾向はショーバー詩による17年の《音楽に寄せて An die Musik》D547へと結実する。この年には父の家に戻って教師生活を再開するも,翌18年7月から4カ月ほどハンガリーのゼレチュ(現スロヴァキアのジェリエゾフェ)で音楽教師の任に就いたのを好機に,二度とかつての現実に戻ることはなかった。同地では24年にも5カ月にわたって同じ任務に服することになる。だがこの機会,および貴族への若干の作品献呈(《さすらい人幻想曲》D760など)を除けば,生涯シューベルトは貴族の財力や既存の制度を頼っていない。拠り所となったのはむしろ友情である。国家の介在しない内輪の親密圏に根差すサークルは,往時のドイツ語圏に広く見られる社会現象でもあった。この種のサークルに身を委ねて友人たちの思想にその都度感化される内発的な創作活動を重視し,納得したかたちで作品を世に出すために,後年にはカッピ&ディアベッリをはじめとする複数の出版社との衝突を厭わなかった(たとえば1823年2月21日の手紙)。この生き方は,19世紀市民社会における芸術家の選択として大きな意義を持っている。
2.中期
新たなサークル〈シューベルティアーデ〉の形成
1817年から23年頃は大きな転機であり,いくつかの特徴からシューベルトの「ロマン主義時代」と呼ぶこともできる。
まず友人サークルをめぐっては,コンヴィクト時代の先輩たちが主に官僚として就職していったのに伴い,モーリツ・フォン・シュヴィント,フランツ・フォン・ブルッフマン,レーオポルト・クーペルヴィーザーといった芸術家肌の若者を中心とする新たなサークルが形成された。そこでは,卓越した朗読者だったショーバーの主催する読書会によって,シュレーゲル兄弟やノヴァーリスといった初期ロマン主義の書き物が,ゲーテなど18世紀ドイツの作家に取って代わる。ハイネを読んで最晩年の《白鳥の歌 Schwanengesang》D957創作の霊感を与えたのもこの読書会であり,この種の集いを仲間たちは〈シューベルティアーデ〉の愛称で呼んでいた。ショーバーの仲介によって1817年に親交を結んだ宮廷バリトン歌手ヨハン・ミヒャエル・フォーグルと,ベルリンで活躍したソプラノ歌手アンナ・ミルダーは,歌曲を広く世に知らしめる不可欠な存在となった。世知に長けた友人ゾンライトナー父子の助力を得て,21年には歌曲を中心として,作品にオーパス番号を付けての出版活動が軌道に乗る。それらはウィーンでは総じて好意的に紹介され,ライプツィヒの誌上では伝統の枠を逸した独特な書法がたびたび専門的に論じられた。
当時の社会情勢の作品への影響
次に社会情勢に関しては,ウィーンをも脅かしたナポレオン軍に対する解放戦争(1813-15年)は既に収束していたが,ウィーン会議を経て王政復古に向かったヨーロッパ諸国では,1819年のカールスバート決議によって,市民に対する検閲と統制はこの上なく厳しいものとなっており,わけてもオーストリアの宰相メッテルニヒと警察庁長官ゼードルニツキの手法は徹底していた。自由主義を奉じるヨハン・ゼンのような若い詩人が市内で拘禁されて永久追放となり,居合わせた友人シューベルトも拘束・叱責された20年3月の出来事は,時代の行き詰まりを物語る象徴的な事件である。フランス革命の挫折に続き,ヘーゲル的な歴史観は再び無力さを露呈していた。往時の文芸においてしばしば悲観的な未来を象徴した「春」や「花」が,シューベルト作品をも貫いているのは当然といえる。例えば歌曲《花の痛み Der Blumen Schmerz》D731(1821)がウィーンの雑誌に付録として掲載された事実に,その傾向はあらわれている。
《美しき水車小屋の娘》~死後の楽園の希求
この閉塞感の中,後年の日記では「啓蒙」があからさまに罵倒され,個人の内面に沸き出でる「幻想」が力強く称えられることになる(1824年3月29日)。平凡な時間の成り行きから隔たった領域を意味するこの「幻想」は,ひるがえって1817~23年頃の音楽実践を解き明かす鍵でもある。例えばこの頃に多く残された未完のピアノ・ソナタは,周到な調設計に基づいて現実と理想の相克を,あるいは現実から理想への跳躍を描くという大胆な実験の産物でもあった(そのみずみずしい実例が1817年のピアノ・ソナタ断片 D571である)。歌曲においては,官吏でありながら古代の美に耽溺したマイアホーファーの詩に基づく同年の歌曲《ドナウ川にて Auf der Donau》D553や《メムノン Memnon》D541が,現実と理想を鋭く対照させている。失望を吐露するゼン詩の《愛は欺いた Die Liebe hat gelogen》D751(1822)では,半音関係で隣り合う調の対立を主軸とする戦略によって激しい心の動きが刻印される。この戦略は,ゲーテ詩の《涙とともに Wer nie sein Brot mit Tränen aß》最終稿 D478-2(1822)などで,天上界に一瞥を与える手法として重要なものとなってゆく。弦楽四重奏曲では,4年の空白の後に手掛けられたハ短調の《四重奏断章 Quartettsatz》D703(1820)において,抒情的な副次主題をサブメディアント調で特権的に出現させる手法が洗練された。《未完成交響曲》D759(1822)は,同時期の歌曲との関連で,運命的な現実(第1楽章)から楽園(第2楽章)への軌道を描く作品と解釈される。おそらく22年末には性病に感染し,それ以後は周期的に回帰する痛みに悩まされるようになるが(ただしこれが直接の死因かどうかは定かでない),この身体性も,痛みに満ちた現世からの離脱と死後の楽園の希求に深く関わっている。「僕の夢」として知られる22年7月3日の寓話や23年5月8日の詩「僕の祈り」に色濃く刻まれたこの希求は,ミュラー詩による《美しき水車小屋の娘 Die schöne Müllerin》D795(1823)の構成,とりわけその終盤において際立った表現を獲得した。
3.後期
《ザ・グレイト》~作曲家として新たな境地へ
1824年春には,病による痛みの激化,ショーバーとレーオポルト・クーペルヴィーザーの外国への旅立ちによるサークル活動の衰退,渾身のオペラ《フィエラブラス Fierrabras》D796(1823)の上演中止といった事情から,内向的な手紙・日記が目立つようになる。だが一方,次第に高まる評判の中,大規模な室内楽(D803,D804,D810)が生まれていた。中期の私的な断片は,公衆に開かれた均整を獲得しつつあったのである。25年5月から10月にかけてフォーグルと共に行った西方への大旅行は,滞在先での演奏会によって名声を広げたのみならず,初めて目にする雄渾な湖水と山岳の景観が新たな霊感をもたらした。ヘクサメーター(1行に強拍を6つも持つ)の詩にふさわしく,息の長い旋律線と雄大な和声を聴かせる歌曲《全能 Die Allmacht》D852,語法がしばしば大胆に移り変わってゆくニ長調のピアノ・ソナタ D850,《大ハ長調交響曲》(《ザ・グレイト》)D944(翌26年に完成)といった傑作に聴かれる広大な音響は,作曲家が新たな境地に足を踏み入れたことを示している。
《冬の旅》~孤高の作品群への道
しかし,高まる名声の中,世間的な事象からあたかも身を離してゆくかのように,《冬の旅 Winterreise》D911(1827-28)や最晩年のピアノ三重奏曲 D929,ミサ曲第6番 D950といった孤高の作品群への道は開かれていった。その契機として重要な位置を占める作品に,自己の孤独をひたすら研ぎ澄ませていく詩人エルンスト・シュルツェの詩に基づく歌曲が挙げられる。例えば《可愛い星 Der liebliche Stern》D861(1825)や《春に Im Frühling》D882(1826)では,詩に見られる悔恨や絶望は変形有節形式あるいは変奏曲形式によって曲全体へと浸透し,なだらかな表現を獲得している。救済を希求する中期の衝動は,ここに至って内省化され,あらゆる出来事を俯瞰しつつ未決のままに繰り延べてゆく後期の形式感覚・時間感覚が生み出された。自身による《冬の旅》第1部の試奏が友人たちを唖然とさせたことが象徴するように,この後期様式は,同時代の理解の地平を踏み越えた「嘲笑的イロニー」を備えているとも評された(ライプツィヒの《一般音楽新聞》1829年10月7日)。その反面,器楽曲(D959やD956)の緩徐楽章などにおいて最強音で噴出するパッセージは,パトスへの衝動が最晩年に至っても留保なき直截な表現に結び付いたことを証している。
4.作風・評価・研究
親しみやすさと特異さの両面性
音楽語法の側面から総括すると,シューベルトの音楽はウィーン古典派の語法を礎石とし,親しみやすい旋律と豊かな和声法を備えている点で,今日に至るまで揺るぎない人気を誇っている。その理由は,柔軟で謙虚な性格のシューベルトが外界の出来事を豊富に織り込み,独自の作品世界を作り上げた点にも求められる。例えば3連符による風のそよぎの描写や空虚5度,ホルン5度による自然現象の象徴表現,郊外の劇場で聴いた喜劇音楽の調べなどは,様々な曲種の構成要素となっている。仲間内での軽い舞曲音楽も,動機と調の連関によってしばしば緊密な作品集へと高められた(特に1823年の《12のドイツ舞曲》D790)。さらに,自作旋律の別作品での引用,またいわゆる「アッラ・ツォッパ」(シンコペーション)のリズムや半音階下行などの伝統的な語法に加え,古典派音楽では基本的に排除されていた根音2度下行や,五音音階などの歴史化された語法の広範な活用により,その作品総体はジャンルを超えて固有の意味連関を獲得している。特に出版が軌道に乗ってからはドイツ語圏の諸都市で高い評価を受けていた一方,上記のような特異な厚みを備えた音楽が,「正しい道からの逸脱の誘惑」(ゴットフリート・ヴィルヘルム・フィンク)とも映り,同時代人に倫理上の衝撃をも与えていたことは見逃せない。親しみやすさと特異さの両面性に,シューベルトの音楽の魅力は宿っている。
美学的・芸術史的な側面
美学的・芸術史的な側面から眺めると,現実と理想との解決できない亀裂を音で表現したシューベルトは,社会の渦中で避けがたく煩悶する近代の傾向と深く関わっている。たとえば,地上を穢れたものと捉えて天上に焦がれる「ロマン主義」的な傾向は,19世紀初頭の自由主義神学のもとで受容されていた異端的な宗教観に通じている。すなわち6作のミサ曲の「クレド」において「全能なる父」や「〔父と子の〕本質共有」といった歌詞が漸次的に排除されていった事実は,神なき地上を生きる人間の悲劇にシューベルトが強い共感を寄せていたことのあらわれと解釈される(堀朋平《編集された「クレド」の神学――グノーシスとシューベルト》『美学』第260号、2022年)。作曲家の遺した日記,知人の間で交わされた手紙,生前の重要な批評記事などを収めたドイチュ編《シューベルト――その人生の記録 Schubert: Die Dokumente seines Lebens》(1964)は,この種の事態にかかわる「美学」的ドキュメントを掲載しない編纂方針を採った(それは,芸術の政治的側面がネガティヴな形であらわになった当時の趨勢に抗ってのことであろう)。作曲家の没後に知人の残した証言を集めたドイチュ編《Schubert: Die Erinnerungen seiner Freunde》(1966,日本語版:《シューベルト――友人たちの回想》1978)も貴重な資料集であるが,ただしここでも,編者の方針に従って,手紙の文章が省かれているケースは少なくない。友人たちが深く関与した社会的・美学的な問題がシューベルトの心性および創作に大きな影響を与えていた事実に光が当てられたのは,90年代の後半になってからである。アメリカの研究者デイヴィド・グラミットの研究(1987年)を発端とする新たな資料の発掘と価値付けは,イリヤ・デュルハマーの労作《文芸をめぐるシューベルトの源泉――友人たちによる詩と文芸の受容 Schuberts literarische Heimat: Dichtung und Literatur-Rezeption der Schubert-Freunde》(1999)にひとつの結実を見た。ただし,友人たちの残した思想上の書き物,彼らの交わした書簡は極めて膨大である。オーストリア各地の図書館に所蔵されているそれらの資料は活字化すらされていないものも多く,研究されるべき点はいまだ多く残されている。
2000年以降の研究史
総合的な視点から2000年以降の研究史を眺めてみると,ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセンのコンパクトな評伝《Franz Schubert》(2011,日本語訳:《フランツ・シューベルト――あるリアリストの音楽的肖像》2017)が,最新の諸研究を消化しつつ,全体像を手際よく提示している。より個別的な情報は,エルンスト・ヒルマーらが編纂した《シューベルト百科事典 Schubert Enzyklopädie》(全2巻,2004)を出発点として補うことができるだろう。専門外の知を積極的に導入する英語圏の研究も目覚ましい。例えばロレーヌ・バーン・ボドリー他編による論集《シューベルト再考 Rethinking Schubert》(2016)に収められた論考は,各ジャンルでの作品分析の最前線を示すものである。上記の諸点に目配りした邦語文献としては,堀朋平《フランツ・シューベルトの誕生――喪失と再生のオデュッセイ》(2016)がある。このように,美学・思想に関する事柄や社会的な事情と,音楽分析とを織り交ぜた総合的な作曲家像を,2000年代以降の研究者たちは描き始めている。
シューベルトの主要作品
Dはドイチュによる目録で与えられた作品番号(作曲年代順)
【オペラ・劇作品】
《悪魔の別荘》 D84 1813-14改訂14 ; 《4年間の歩哨任務》 D190 1815 ; 《フェルナンド》 D220 1815 ; 《サラマンカの友人たち》 D326 1815-16? ; 《人質》[第1, 2幕のみ] D435 1816 ; 《魔法の竪琴》 D644 1820 ; 《双子の兄弟》 D647 1818-19 ; 《アルフォンゾとエストレルラ》 D732 1821-22 ; 《謀反人たち[別名:家庭戦争]》 D787 1822-23 ; 《フィエラブラス》 D796 1823 ; 《キプロスの女王ロザムンデ》 D797 1823
【交響曲】
No.1 D D82 1813 ; No.2 B D125 1814-15 ; No.3 D D200 1815 ; No.4 c《悲劇的》 D417 1816以前 ; No.5 B D485 1816 ; No.6 C D589 1817-18 ; No.7 h《未完成》 D759 1822 ; No.8 C《ザ・グレイト》 D944 1825-28? [注:新ドイチュ目録による。なお,草稿を基にヴァインガルトナーが補作し1934年に出版したD729 EをNo.7と呼ぶ例もあり,その場合は交響曲番号が繰り下がる]
【管弦楽曲】
イタリア風序曲 : D D590 1817, C D591 op.170 1817 ; ヴァイオリン協奏曲 D《コンツェルトシュテュック》 D345 1816 ; ロンド A D438(vn, str) 1816
【室内楽曲】
管楽九重奏曲 es《フランツ・シューベルトの埋葬の祝い》 D79(2cl, 2fg, コントラfg, 2hrn, 2tb) 1813 ; 管楽八重奏曲 F D72(2ob, 2cl, 2hrn, 2fg) 1813 ; 八重奏曲 F D803 op.166(cl, hrn, fg, 2vn, va, vc, cb) 1824 ; ピアノ五重奏曲 A《ます》 D667 op.114 1819? ; 弦楽五重奏曲 C D956 op.163(2vn, va, 2vc) 1828? ; 弦楽四重奏曲 : No.1 g/B D18 1810または11, No.2 C D32 1812, No.3 B D36 1812-13, No.4 C D46 1813, No.5[第1楽章と終楽章] B D68 1813, No.6 D D74 1813, No.7 D D94 1811または12?, No.8 B D112 op.168 1814, No.9 g D173 1815, No.10 Es D87 op.125-1 1813, No.11 E D353 op.125-2 1816, No.12 c《四重奏断章》[第1楽章と第2楽章断片] D703 1820, No.13 a《ロザムンデ》 D804 op.29-1 1824, No.14 d《死と乙女》 D810 1824, No.15 G D887 op.161 1826 ; 5つのメヌエットと6つのトリオ D89(st-qt) 1813 ; 弦楽三重奏曲 : No.1[第1楽章と第2楽章断片] B D471 1816, No.2 B D581 1817 ; ピアノ三重奏曲 : No.1 B D898 op.99 1828?, No.2 Es D929 op.100 1827以降, B D28 1812 ; Es《ノットゥルノ》 D897 op.148 1828? ; ヴァイオリン・ソナタ[別名:ソナチネ]: No.1 D D384 op.137-1 1816, No.2 a D385 op.137-2 1816, No.3 g D408 op.137-3 1816 ; ヴァイオリン・ソナタ[別名:二重奏曲] A D574 op.162 1817 ; ロンド h D895 op.70(vn, p) 1826 ; 幻想曲 C D934 op.159(vn, p) 1827 ; 4つの愉快なレントラー D D354(2vn) 1816 ; 《しぼめる花》の主題による序奏と変奏曲 e/E D802 op.160(fl, p) 1824 ; アルペッジョーネ・ソナタ a D821(アルペッジョーネ, p) 1824
【ピアノ連弾曲】
ソナタ : B《大ソナタ》 D617 op.30 1818, C《大二重奏曲》 D812 op.140 1824 ; 幻想曲 : G D1 1810, g D9 1811, c《大ソナタ》 D48 1813改訂同年, f D940 op.103 1828 ; イタリア風序曲 : D D592[管弦楽曲D590を編曲] 1817, C D597[管弦楽曲D591を編曲] 1817 ; ロンド : D D608 op.138 1818改訂同年, A D951 op.107 1828 ; 4つのポロネーズ D599 op.75(d, B, E, F) 1818 ; 3つの英雄的行進曲 D602 op.27(h, C, D) 1818または24 ; ドイツ舞曲と2つのレントラー D618(1.ドイツ舞曲 G 2. 2つのレントラー E) 1818 ; フランスの歌による8つの変奏曲 e D624 op.10 1818 ; 3つの軍隊行進曲 D733 op.51(D, G, Es) 1818? ; 自作主題による8つの変奏曲 As D813 op.35 1824 ; 4つのレントラー D814(Es, As, c, C) 1824 ; ハンガリー風ディヴェルティメント g D818 op.54 1824? ; 6つの大行進曲 D819 op.40(Es, g, h, D, es, E) 1824? ; フランス風主題によるディヴェルティメント e D823(1.華麗な行進曲 op.63-1 2.アンダンティーノと変奏 op.84-1 3.華麗なロンド op.84-2) 1825頃 ; 6つのポロネーズ D824 op.61(d, F, B, D, A, E) 1826 ; 大葬送行進曲 c D859 op.55 1825 ; 英雄的大行進曲 a D885 op.66 1826 ; 《マリー》の主題による8つの変奏曲 C D908 op.82-1 1827 ; 行進曲 G《子供の行進曲》 D928 1827 ; アレグロ a《人生の嵐》 D947 op.144 1828 ; 2つの性格的行進曲 C D968b[旧D886] op.121 1826?
【ピアノ曲】
ピアノ・ソナタ : No.1[未完] E D157 1815以降, No.2 C D279 1815, No.3[未完] E D459 1816, No.4 a D537 op.164 1817, No.5 As D557 1817, No.6 e D566 1817, No.7 Es D568 op.122 1817, No.8[第1楽章断片] fis D571 1817, No.9 H D575 op.147 1817, No.10[2楽章,断片] C D613 1818, No.11[2楽章,断片] f D625 1818, No.12[第1楽章断片] cis D655 1819, No.13 A D664 op.120 1819または25, No.14 a D784 op.143 1823, No.15[未完] C《レリーク》 D840 1825, No.16 a D845 op.42 1825以前, No.17 D D850 op.53 1825, No.18 G《幻想ソナタ》 D894 op.78 1826, No.19 c D958 1828, No.20 A D959 1828, No.21 B D960 1828 ; 幻想曲 : C《グラーツ幻想曲》 D605a 1818?, C《さすらい人幻想曲》 D760 op.15 1822 ; 4つの即興曲 : D899 op.90(c, Es, Ges, As) 1827, D935 op.142(f, As, B, f) 1827 ; 12のウィーン舞曲 D128 1812? ; 12のワルツ,17のレントラーと9つのエコセーズ D145 op.18 1815-21 ; 20のワルツ D146 op.127 1815-23 ; 10の変奏曲 F D156 1815 ; 12のエコセーズ D299 1815 ; 36のオリジナル舞曲 D365 op.9 1816-21 ; 17のレントラー D366 1816-24 ; 12のドイツ舞曲 D420 1816 ; 6つのエコセーズ D421 1816 ; 8つのエコセーズ D529 1817 ; ヒュッテンブレンナーの主題による13の変奏曲 a D576 1817 ; 2つのスケルツォ D593(B, Des) 1817 ; 行進曲 E D606 1818? ; ディアベッリのワルツによる変奏曲 c D718 1821 ; 16のレントラーと2つのエコセーズ[ウィーンの婦人のレントラー] D734 op.67 1822頃 ; ギャロップと8つのエコセーズ D735 op.49 1822頃 ; 2つのドイツ舞曲 D769 1824以前 ; 34の感傷的なワルツ D779 op.50 1823頃 ; 楽興の時 D780 op.94(C, As, f, cis, f, As) 1823-28 ; 12のエコセーズ D781 1823 ; 16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ D783 op.33 1823-24 ; 12のドイツ舞曲[レントラー] D790 op.171 1823 ; ハンガリー風メロディ h D817 1824 ; 6つのドイツ舞曲 D820 1824 ; アレグレット c D915 1827 ; 12のグラーツのワルツ D924 op.91 1827? ; 3つの小品 D946(es, Es, C) 1828 ; 12のワルツ[高雅なワルツ] D969 op.77 1826以前
【宗教作品】
オラトリオ《ラザロ,または復活の祝日》[未完] D689 1820 ; ミサ曲 : No.1 F D105 1814, No.2 G D167 1815, No.3 B D324 op.141 1815, No.4 C D452 op.48 1816, No.5 As D678 1819-22, No.6 Es D950 1828 ; オッフェルトリウム :《疲れた私の心の中に》 C D136 op.46 1815?, 《サルヴェ・レジナ》 F D223 op.47 1815改訂23, 《助けを求めて呼ぶ声を》 B D963 1828 ; タントゥム・エルゴ C D739 op.45 1814 ; ドイツ語ミサ曲 D872 1827 ; 枝の主日のアンティフォナ D696 op.113 1820 ; 詩編23 D706 op.132 1820 ; 《聖霊への賛歌》 D948 第1稿[旧D941] 1828, 第2稿[旧D964] op.154 1828 ; 詩編92 D953 1828 ; 信仰,希望,愛 D954 1828
【カンタータ】
《フランツ・ミヒャエル・フィールターラーの命名祭》 D294 1815 ; 《皇帝の誕生日に》 D748 op.157 1822
【合唱曲】
天使の合唱 D440 1816 ; 大ハレルヤ[歌曲の改訂] D442 1816 ; 精霊の踊り[第4作] D494(男声五重唱) 1816 ; 団らん[人生の喜び] D609 1818 ; 水上の精霊の歌[第4作] D714(男声八重唱, str-qnt) 第1稿[旧D704] 1820, 第2稿 op.167 1821 ; コロナッハ[女たちの挽歌] D836 op.52-4(女声) 1825 ; 夜の音楽 D848 op.156(男声) 1825 ; 夜の明るみ D892 op.134(男声) 1826 ; 良き夜に D903 op.81-3(男声) 1827 ; 戦いの歌[第2作] D912 op.151(男声) 1827 ; セレナード D920[旧D921] 第1稿(A, 男声cho, p) 1827, 第2稿 op.135(A, 女声cho, p) 1827 ; ミリアムの勝利の歌 D942 op.136(S, 混声cho, p) 1828
【四重唱曲】
無限なる者への賛歌 D232 op.112-3 1815 ; 自然の喜び D422 op.16-2 1822? ; 太陽に寄せて D439 1816 ; 草原の羊飼いの娘 D513 1817? ; 水上の精霊の歌[第1作] D538 1817 ; 小さい村 D598 第1稿 1817, 第2稿[旧D641] op.11-1 1818 ; 夜鳴きうぐいす D724 op.11-2 1821 ; 春の歌[第2作] D740 op.16-1 1822 ; 自然の中の神 D757 1822 ; ゴンドラ漕ぎ[第2作] D809 op.28 1824 ; 祈り D815 op.139 1824 ; 踊り D826 1828 ; 墓と月 D893 1826 ; 酒と恋 D901 1827以前 ; 森の夜の歌 D913 op.139 1827 ; 春の歌 D914 1827 ; 若者の喜び D983 op.17-1 1822? ; 恋 D983a op.17-2 1822? ; 輪舞に D983b op.17-3 1822? ; 夜 D983c op.17-4 1822? ; 雷雨の中の神 D985 op.112-1 1827? ; 世界の創造者である神 D986 op.112-2 1827?
【三重唱曲】
弁護士 D37 op.74 1812 ; 若き日の5月の躍動 D61 1813 ; 夕映え D236 1815 ; 婚礼の焼き肉 D930 op.104 1827
【二重唱曲】
5月の歌 D199 1815 ; 5月の歌[第2作] D202 1815 ; 暁の星[第2作] D203 1815 ; 猟人の歌 D204 1815 ; リュツオウの勇敢な追撃隊 D205 1815
【歌曲】
ハガルの嘆き D5 1811 ; 小川のほとりの若者[第1作] D30 1812 ; 海に潜る者 D77 第1稿 1813-14, 第2稿[旧D111] 1815以前 ; アデライーデ D95 1814 ; エマに D113 op.58-2 1814頃 ; 精霊の踊り[第3作] D116 1814 ; 異国から来た少女[第1作] D117 1814 ; 糸を紡ぐグレートヒェン D118 op.2 1814 ; 夜の歌 D119 1814 ; 羊飼いの嘆きの歌 D121 op.3-1 1814 ; たゆみない愛 D138 op.5-1 1815改訂21 ; 月の夕べ D141 op.131-1 1815 ; 精霊の挨拶 D142 1815または16, 第6稿 op.92-3 1828? ; 満足 D143 op.109-2 1815 ; 歌人 D149 op.117 1815 ; 彼女が赤くなるのを見て D153 1815 ; 君の姿 D155 op.165-3 1815 ; 期待 D159 op.116 1816 ; ミニョンに D161 op.19-2 1815 ; 恋人のそばに D162 op.5-2 1815 ; むなしい愛 D177 op.173-3 1815 ; 歓喜に寄せて D189 op.111-1 1815 ; 乙女の嘆き[第2作] D191 op.58-3 1815 ; 月に寄せて D193 op.57-3 1815 ; アマーリア D195 op.173-1 1815 ; 夜鳴きうぐいすに寄せて D196 op.172-3 1815 ; 歌人 D209 op.38 1815 ; 夢 D213 op.172-1 1815 ; あずま屋 D214 op.172-2 1815 ; 海の静けさ[第2作] D216 op.3-2 1815 ; 夕べ D221 op.118-2 1815 ; いとしいミンナ D222 1815 ; さすらい人の夜の歌 D224 op.4-3 1815 ; 漁師 D225 op.5-3 1815 ; 最初の喪失 D226 op.5-4 1815 ; イーデンの夜の歌 D227 1815 ; イーダより D228 1815 ; 幻影 D229 op.108-3 1815 ; 幻覚 D230 op.165-4 1815 ; 憧れ D231 op.172-4 1815 ; 愛の精霊 D233 op.118-1 1815 ; 食卓の歌 D234 op.118-3 1815 ; 人質 D246 1815 ; 糸紡ぎの女 D247 op.118-6 1815 ; トカイ酒の賛歌 D248 op.118-4 1815 ; 宝掘り D256 1815 ; 野ばら D257 op.3-3 1815 ; 悲しみの喜び D260 op.115-2 1815 ; 太陽に寄せて D270 op.118-5 1815 ; クロナン D282 1815 ; 春に寄せて D283 op.172-5 1815 ; 無限なる者に D291 1815 ; 泉のほとりの若者 D300 1817頃 ; ヘクトルの別れ D312 op.58-1 1815 ; 夜の歌 D314 1815 ; ミニョン D321 1815 ; ヘルマンとトゥスネルダ D322 1815 ; 魔王 D328 op.1 1815 ; 万霊節の日に[万霊節の連祷] D343 1816 ; 双子座に寄せる船乗りの歌 D360 op.65-1 1816 ; トゥーレの王 D367 op.5-5 1816 ; 狩人の夕べの歌[第2作] D368 op.3-4 1816 ; 御者クロノスに D369 op.19-1 1816 ; 愛の言葉 D410 op.115-3 1816 ; 至福 D433 1816 ; 大ハレルヤ D442 第1稿 1816 ; 春の神 D448 1816 ; よき羊飼い D449 1816 ; 沈みゆく太陽に寄せて D457 op.44 1816-17 ; 竪琴弾きI[竪琴弾きの歌] D478(1.孤独を求めるものは 2.涙とともに 3.戸口に忍んで) 第1稿 1816, 第2稿 op.12-1 1822 ; さすらい人 D489 第1稿 1816, 第2稿[旧D493b] 1816頃, 第3稿[旧D493a] op.4-1 1816頃 ; 羊飼い D490 1816 ; 子守歌 D498 op.98-2 1816 ; アンゼルモの墓にて D504 op.6-3 1816 ; 時の流れ D515 op.7-2 1817? ; 憧れ D516 op.8-2 1816? ; 羊飼いと騎士 D517 op.13-1 1817 ; 花言葉 D519 op.173-5 1817? ; アルプスの狩人 D524 op.13-3 1817 ; ウルフルーが釣りをする時 D525 op.21-3 1817 ; 冥府への旅 D526 1817 ; 子守歌 D527 op.24-2 1817 ; 草原の羊飼いの娘[第2作,イタリア語] D528 1817 ; 泉に寄せて D530 op.109-3 1817 ; 死と乙女 D531 op.7-3 1817 ; 流れのほとりで D539 op.8-4 1817 ; メムノン D541 op.6-1 1817 ; アンティゴネとオイディプス D542 op.6-2 1817 ; 湖上にて D543 op.92-2 1817 ; ガニュメート D544 op.19-3 1817 ; 若者と死 D545 1817 ; 歌による慰め D546 op.101-3 1817 ; 音楽に寄せて D547 op.88-4 1817 ; ます D550 op.32 1816-17頃, 改訂20頃, 21 ; 紅ヒワの求愛 D552 op.20-3 1817頃 ; ドナウ川にて D553 op.21-1 1817 ; 様々な姿の恋人 D558 1817 ; イフィゲーニア D573 op.98-3 1817 ; タルタルスの群れ[第2作] D583 op.24-1 1817 ; エルラフ湖 D586 op.8-3 1817 ; アルプスの狩人 D588 op.37-2 1817 ; 戦い D594 op.110 1817 ; テクラ――精霊の声[第2作] D595 op.88-2 1817 ; 夕映え D627 op.173-6 1818 ; 蝶々 D633 op.57-1 1819頃 ; 山 D634 op.57-2 1819頃 ; 憧れ[第2作] D636 op.39 1821頃 ; 希望[第2作] D637 op.87-2 1819頃 ; 小川のほとりの若者[第3作] D638 op.87-3 1819 ; 茂み D646 1819 ; さすらい人 D649 op.65-2 1819 ; 星の夜 D670 op.165-2 1819 ; 夜の曲 D672 op.36-2 1819 ; 恋する女の手紙 D673 op.165-1 1819 ; プロメテウス D674 1819 ; 星 D684 1820 ; 朝の歌 D685 op.4-2 1820 ; 春の思い D686 op.20-2 1820改訂22 ; 夜の賛歌 D687 1820 ; 4つのカンツォーネ[イタリア語] D688(1.墓に近寄るな 2.白き月 3.その顔を見て知る 4.心に留めよ) 1820 ; 夕映え D690 1823 ; 鳥 D691 op.172-6 1820 ; 少年 D692 1820 ; 流れ D693 1820 ; 清められたオレステス D699 1820 ; 自ら沈みゆく D700 1820 ; 丘の上の若者 D702 op.8-1 1820 ; 怒れるディアナに D707 op.36-1 1820 ; 森にて D708 1820 ; 涙の賛美 D711 op.13-2 1818 ; 捕らわれの歌びと D712 1821 ; 不幸な人 D713 op.87-1 1821 ; 人間の限界 D716 1821 ; ズライカII D717 op.31 1821? ; 秘め事 D719 op.14-2 1821 ; ズライカI D720 op.14-1 1821 ; ミニョンI D726 1821 ; ミニョンII D727 1821 ; 花の痛み D731 op.173-4 1821 ; 彼女の墓 D736 1822? ; 竪琴に寄せて D737 op.56-2 1822または23? ; 森で D738 op.56-3 1822または23? ; 挨拶を贈ろう D741 op.20-1 1821-22 ; ウズラの鳴き声 D742 op.68 1822 ; 至福の世界 D743 op.23-2 1822? ; 白鳥の歌 D744 op.23-3 1822? ; ばら D745 op.73 1822 ; 湖畔にて D746 1822または23? ; 愛は欺いた D751 op.23-1 1822 ; 花大根 D752 1822 ; ヘリオポリスI D753 op.65-3 1822 ; ヘリオポリスII D754 1822 ; あなたは私を愛していない D756 op.59-1 1822 ; 死の音楽 D758 op.108-2 1822 ; 宝掘りの願い D761 op.23-4 1822 ; ミューズの子 D764 op.92-1 1822 ; 歓迎と別れ D767 op.56-1 1822 ; さすらい人の夜の歌 D768 op.96-3 1824以前 ; 異国への衝動 D770 op.71 1823 ; 小人 D771 op.22-1 1822または23? ; 憂い D772 op.22-2 1822または23? ; 水の上で歌う D774 op.72 1823 ; 彼女がここにいたことは D775 op.59-2 1823? ; 君こそわが憩い D776 op.59-3 1823 ; 笑いと涙 D777 op.59-4 1823? ; 老年の歌 D778 op.60-1 1823 ; 怒れる吟遊詩人 D785 1823 ; すみれ D786 op.123 1823 ; 忘れな草 D792 1823 ; 秘め事[第2作] D793 op.173-2 1823 ; 巡礼 D794 op.37-1 1823 ; 美しき水車小屋の娘 D795 op.25(1.さすらい 2.どこへ 3.止まれ 4.小川への感謝 5.憩いの夕べに 6.好奇心の強い男 7.いらだち 8.朝の挨拶 9.水車屋の花 10.涙の雨 11.私のもの 12.休み 13.リュートの緑のリボンで 14.狩人 15.嫉妬と誇り 16.好きな色 17.嫌な色 18.しぼめる花 19.粉引きと小川 20.小川の子守歌) 1823 ; 夕映えの中で D799 1824または25 ; 孤独な人 D800 op.41 1825 ; 酒神賛歌 D801 op.60-2 1826以前 ; 溶解 D807 1824 ; 夜と夢 D827 op.43-2 1823以前 ; 若い尼 D828 op.43-1 1825 ; 別れ[メロドラマ] D829 1826 ; アン・ライルの歌 D830 op.85-1 1825? ; ノルナの歌 D831 op.85-2 1825 ; 盲目の少年 D833 op.101-2 1825 ; 森にて D834 第1稿 op.93-1 1825, 第2稿 op.90-1 1825頃 ; エレンの歌I D837 op.52-1 1825 ; エレンの歌II D838 op.52-2 1825 ; エレンの歌III[別名:アヴェ・マリア] D839 op.52-6 1825 ; 墓掘り人の郷愁 D842 1825 ; 捕らわれの狩人の歌 D843 op.52-7 1825 ; ノルマンの歌 D846 op.52-5 1825 ; 郷愁 D851 op.79-1 1825 ; 全能 D852 op.79-2 1825 ; ブルックにて D853 第1稿 op.93-2 1825, 第2稿 op.90-2 1825頃 ; はるかな人への夕べの歌 D856 op.88-1 1825 ; かわいい星 D861 1825 ; 真夜中に D862 op.88-3 1825-26 ; 4つのリフレイン歌曲 D866 op.95(1.区別 2.ただあなたのそばに 3.男は人が悪い 4.現世の幸福) 1828? ; 子守歌 D867 op.105-2 1826? ; さすらい人の月に寄せる歌 D870 op.80-1 1826 ; 弔いの鐘 D871 op.80-2 1826 ; 《ヴィルヘルム・マイスター》からの歌 D877 op.62(1.ミニョンと竪琴弾き 2.ミニョンの歌[第2作] 3.ミニョンの歌[第3作] 4.ミニョンの歌[第6作]) 1826 ; 窓辺にて D878 op.105-3 1826 ; 憧れ D879 op.105-4 1826 ; 戸外にて D880 op.80-3 1826 ; 漁師の歌 D881 op.96-4 1826 ; 春に D882 op.101-1 1826 ; ヴィルデマンの丘を越えて D884 op.108-1 1826 ; セレナード[聞け聞け,ひばりを] D889 1826 ; ヒッポリートの歌 D890 1826 ; 歌[シルヴィアに] D891 op.106-4 1826 ; アリンデ D904 op.81-1 1827 ; リュートに寄せて D905 op.81-2 1827 ; 狩人の愛の歌 D909 op.96-2 1827 ; 船乗りの別れの歌 D910 1827 ; 冬の旅 D911 op.89([第1部]1.おやすみ 2.風見の旗 3.凍る涙 4.かじかみ 5.菩提樹 6.あふれる涙 7.川の上で 8.回想 9.鬼火 10.憩い 11.春の夢 12.孤独 [第2部]13.郵便馬車 14.霜おく髪 15.カラス 16.最後の希望 17.村にて 18.嵐の朝 19.幻覚 20.道しるべ 21.宿屋 22.勇気 23.幻の太陽 24.辻音楽師) 1827-28 ; 草原の歌 D917 op.115-1 1827 ; 秘めた愛 D922 op.106-1 1827 ; 古いスコットランドのバラード D923 op.165-5 1827 ; 涙する D926 op.106-2 1827-28 ; 私の揺り籠の前で D927 op.106-3 1827-28 ; 十字軍 D932 1827 ; 漁師の愛の幸せ D933 1827 ; 冬の夕べ D938 1828 ; 星 D939 op.96-1 1828 ; 流れの上で D943 op.119 1828 ; 秋 D945 1828 ; 信仰,希望,愛 D955 op.97 1828 ; 白鳥の歌 D957([第1部]1.愛の便り 2.戦士の予感 3.春の憧れ 4.セレナード 5.わが宿 6.遠い国で 7.別れ [第2部]8.アトラス 9.彼女の姿 10.漁師の娘 11.都会 12.海辺にて 13.影法師 14.鳩の便り[D965a]) 1828 ; 岩の上の羊飼い D965 op.129 1828 ; 山びこ D990c[旧868] op.130 1830刊
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