【連載】プレスラー追っかけ記 No.9
<インタビュー編:その2>
94歳の伝説的ピアニスト、メナヘム・プレスラー。これは、音楽界の至宝と讃えられる彼の2017年の来日を誰よりも待ちわび、その際の公演に合わせて書籍を訳した瀧川淳さんによる、来日期間中のプレスラー追っかけ記です。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...
1月31日に放映されたプレスラーさんの来日公演はご覧になられましたでしょうか? 私は静かな環境の中、大音量で聴きたくて午前4時に起き、急ぎ大学に向かいました。そして誰もいない真っ暗な大学の研究室で一人静かに鑑賞しました。
正直な感想ですが、ライブと録音・録画芸術の違いを実感させられました。録画では、会場でソリストと観客が一体となった感動を追体験する以前に、大病を患ったプレスラーさんの身体的な衰えが目についたことは事実です。実際あの奇跡のライブに接してさえそう感じるのですから、多分、NHKの放映で初めて接した方はより強く意識されてしまったのではないでしょうか。
とはいえ、録画された方は、もう一度できれば(質の良い)ヘッドフォンで聴いてみてください。そうすれば、彼の作り出す万華鏡のような響きの「魔法」を存分に味わうことができるでしょう。
そしてその際には、鍵盤を打鍵する彼の手を観察してみてください。完全に脱力しつつも音の芯を捉えるテクニックと、鍵盤へ向かう多彩なアプローチを目の当たりにすることができるでしょう。
ヘンデルの変奏曲は、各曲の明暗と陰陽がこれ以上は考えられないほど見事に表現されて一つの曲として調和していましたし、ドビュッシー作品では音のブレンドの仕方や響きの残し方からプレスラーさんにしかなし得ないピアノを超えた芸術が聴かれたと私は思うのです。
◇ ◇ ◇
さて、前置きが(いつものように)長くなりました。
リサイタルで感涙したのちは、(大学教員としての)日常に戻るはずでしたが、プレスラーさんが10/16のリサイタル後も1週間ほど日本に滞在しているという情報を得て、もしかしたらもう一度お目にかかれるかもしれないと淡い期待を胸に、来京可能な日時を編集担当者さんに託して熊本へ戻りました。とはいえ、講義や学会を控えて、ほとんど来京可能な日時はなかったのです(大学教員も忙しいのです)。
そんな中「インタビューできますよ」と編集担当者さんから連絡をもらったのがインタビューの2日前! しかも自分が発表する学会の前日で開催地へ移動する日です!
普通に考えたら涙を飲むんだろうけど、ここで行かなければもう会えないかもしれない。プレスラーさんはインタビューしたいと仰ってくれたし、「また会いましょう」と書いてくれたじゃないですか。もちろん、即、快諾です。
インタビュー当日(10/20)は、なんと熊本空港から名古屋(学会開催地)のセントレア空港へ飛び、その足で名古屋駅に向かい東京行きの新幹線に飛び乗りました。
しっかりと毎日の練習をこなしたあと、会場に現れたプレスラーさん。インタビューはリサイタルの4日後、10/20に行われました。
インタビュー会場は、日比谷にある松尾楽器商会。日本滞在中、プレスラーさんは必ずここで毎日数時間ピアノをさらっていたんだそうです。
今回のインタビューは、いくつかの雑誌取材とあわせて行われましたが、まずは各誌に掲載する写真撮影から。世界を渡り歩いて撮られ慣れているというか、カメラマンの指示に従って素敵な笑顔を見せてくれますが、にこやかに一言。
「このまま笑ってないといけないのかな? 音楽するときやレッスンでは笑ってばかりいられないよ。真剣な顔もしなくちゃいけないんだよ(笑)」
すべてにおいて誠実です。
どのような質問に対しても真摯に応えてくださるプレスラーさん。マスタークラスでも、受講生らの質問に対し、通訳をはさまずに約10分間ノンストップでお話しになる一幕もありました。
こんな和やかな雰囲気のインタビューが始められました。トップバッターは私。
驚いたことに、再会の喜びを伝えると、こちらから質問する前にプレスラーさん自ら『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』についてお話しを始められました。本書への思い入れが本当に深いのだな、と再認識させられました。
NHKで放映された中のプレスラーさんの発言はとてもうまく編集され、印象的な言葉を簡潔に述べているような印象でしたが、実は大変雄弁なプレスラーさん。本当にいろいろな思いをさまざまな思い出とともに溢れ出すようにお話しされ、話し始めると穏やかながらノンストップです。
そして内容も、20世紀を生きた大芸術家の生き様が余すところなく語られ、ずっと聞いていたいほど興味深いものでした。が、一人ひとりの割当時間が短かったため、正直に告白すると、想定した質問の半分も聞けなかったかもしれません。
音楽の話になると、柔和な笑顔から一変。眼光鋭く、厳しいプロの顔に。
それでは、インタビューの内容を少し簡潔に(笑)紹介しましょう。
そもそも……。
(つづく)
1923年、ドイツ生まれ。ナチスから逃れて家族とともに移住したパレスチナで音楽教育を受け、1946年、ドビュッシー国際コンクールで優勝して本格的なキャリアをスタートさせる。1955年、ダニエル・ギレ(vn.)、バーナード・グリーンハウス(vc.)とともにボザール・トリオを結成。世界中で名声を博しながら半世紀以上にわたって活動を続け2008年、ピリオドを打つ。その後ソリストとして本格的に活動を始め、2014年には90歳でベルリン・フィルとの初共演を果たし、同年末にはジルベスターコンサートにも出演。ドイツ、フランス国家からは、民間人に与えられる最高位の勲章も授与されている。また教育にも熱心で、これまで数百人もの後進を輩出してきた。世界各国でマスタークラスを展開し、またインディアナ大学ジェイコブズ音楽院では1955年から教えており、現在は卓越教授(ディスティングイッシュト・プロフェッサー)の地位を与えられている。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン(原題:Menahem Pressler : Artistry in Piano Teaching)』著者。
インディアナ大学でメナヘム・プレスラーに師事し、その間、ピアノ演奏で修士号と博士号を取得。ソリスト、室内楽奏者として活躍するかたわら、アメリカ・ミズーリ州にあるサウスウエスト・バプティスト大学の名誉学部長ならびにピアノ科名誉教授でもある。ミズーリ州音楽教師連盟前会長、パークウェイ優秀教師賞受賞。『ピアノ・ギルド・マガジン』や『ペダルポイント』誌などへの寄稿も多数。
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