読みもの
2020.02.01
物語で感じる若きベートーヴェンの素顔

ベートーヴェンのボンでの青春時代——「歓喜に寄せて」との出会い・ウィーンへの旅立ち

笑顔や涙まで見えてくるようなベートーヴェンの生涯を描いた新井鷗子さんの著書『音楽家ものがたり ベートーヴェン: 心の楽譜にえがく希望のメロディ 』。物語の中から若かりしボン時代のエピソード2つを、ベートーヴェン生誕250年をお祝い中のONTOMOに特別掲載。ベートーヴェンの青春時代に思いを馳せてみましょう。

物語を書いた人
新井鷗子
物語を書いた人
新井鷗子 クラシックコンサート構成作家

東京都出身。東京藝術大学楽理科および作曲科卒業。クラシックコンサート、テレビの音楽番組の構成・監修を手がける。1998年NHK音楽教育番組「わがままオーケストラ」の構...

イラスト:千原櫻子

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楽しい学生生活

ボンの選帝侯マクシミリアンは、とても進歩的な考えをもっていました。この町に初めて大学をつくり、それまで大学には高い身分の人しか入学できませんでしたが、勉強したい若者は貴族でも庶民でも学ぶことができるようにしたのです。

ベートーヴェンは18歳の春、ボン大学に通い始めます。哲学、文学、芸術の歴史を学び、医学や自然科学の授業をのぞいたり、読書会に参加して仲間たちと意見をたたかわせたりしました。

学生たちのたまり場は、本屋と飲食店が一緒になったブック・カフェ。むずかしい話からくだらない話まで、友だちとのおしゃべりは本当に楽しいものでした。

そのころ学生たちを夢中にさせたのは「啓もう思想」といって、王さまやキリスト教の支配からのがれて、人間の頭脳によって世界を理解していこうという新しい考え方でした。

1789年、ちょうどベートーヴェンが大学に入って2か月後の7月14日、パリでフランス革命が起きます。自由を求めて市民たちが立ち上がり、王さまや教会を倒そうとしたのです。このニュースがボンに届くと「自由と平等」についての特別授業が大学で行われ、学生たちがいっせいにつめかけました。授業を聞いたベートーヴェンの胸は、熱い感動と興奮につつまれました。

フランス革命に盛り上がるなかで、ベートーヴェンはひとつの詩と出会います。ドイツの若き詩人シラー(1759~1805)が書いた「歓喜に寄せて」です。

だきあおう 何百万の人々よ!
この口づけを 全世界に!
仲間たちよ、あの星空のかなたに
深い愛にあふれた父(ここでは神のこと)が 絶対いるにちがいない

このときベートーヴェンは、「歓喜に寄せて」の詩にいつか作曲する! と心にちかいました。

ふるさとよ、さようなら

ベートーヴェン21歳の夏、作曲家のハイドン(1732~1809)がボンをおとずれました。60歳のハイドンはヨーロッパ中で有名で、このときはロンドンでコンサートをしてウィーンに戻る途中でした。

「ハイドン大先生、ようこそ!」
ボンの宮廷のオーケストラは歓迎のコンサートを開きました。

「これはチャンスだ! ハイドン先生にぼくの書いた曲を見てもらおう!」
ベートーヴェンはハイドンのところへ飛んで行きました。

ハイドンはじっとだまって、楽譜に目を通しています。そしてふと目を上げると、言いました。
「きみはすばらしい才能の持ち主だ。ぜひウィーンに勉強にいらっしゃい。わしが直接、マクシミリアン殿下に頼んであげよう。」

ハイドンのおかげで話はとんとん拍子に進み、ベートーヴェンは1年間の休みをもらって、ウィーンに留学することとなったのです。

「今度こそウィーンで本格的に音楽の勉強ができる!」
ベートーヴェンは、心も体も、5年前にウィーンに行ったときよりずっと成長していましたから、今こそグッド・タイミングだと感じました。

ウィーンに旅立つベートーヴェンのために、宮廷の音楽仲間や大学の友だち、ブロイニング家の人々が何度も何度も送別会を開いてくれました。 

「ぼくたちの友情は永遠だよ!」
「わたしのこと忘れないでね。」
「体に気をつけて、手紙を書いてね。」
「立派な作曲家になるんだぞ!」

みんなが寄せ書きしてくれたノート。ベートーヴェンは生涯それを大切に持っていたといいます。

寄せ書きのなかに、こんな言葉がありました。

きみは今ウィーンに旅立とうとしている。長年の夢をかなえるために。神さまはモーツァルトの死を悲しんでいるが、次の音楽家を探している。きみはハイドンの手をつうじてモーツァルトの心をうけとってくるのだ。

きみの真の友 ワルトシュタイン

そしてベートーヴェンの初恋の人からも。

わたしたちの友情が、夕陽にのびる影のように長く育っていきますように。人生の陽が沈むときまで。

エレオノーレ・ブロイニング

22歳を目前にした11月2日の朝、ベートーヴェンは故郷をあとにウィーンへと向かいました。そして、二度とボンに帰ることはありませんでした。

ONTOMOではベートーヴェンの生涯を「曲」で追っています

ONTOMOではベートーヴェンの作品全曲を、作曲した順に掲載していく「おやすみベートーヴェン」を連載中。

2020年12月16日、ベートーヴェンの249歳の誕生日からはじまり、2月1日からはウィーンにて新進気鋭の音楽家として活躍する「天才ピアニスト時代」がはじまります。

その前に、「ボンでの少年・青年時代」に書かれた47曲をおさらいしませんか?

おやすみベートーヴェン「ボンでの少年・青年時代」目次

第1夜「乙女を描く」

第2夜「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」

第3夜「選帝侯ソナタ第1番 変ホ長調」

第4夜「選帝侯ソナタ第2番 へ短調」

第5夜「選帝侯ソナタ第3番ニ長調」

第6夜「嬰子に寄せて」

第7夜「チェンバロ協奏曲 変ホ長調」

第8夜「クラヴィーア四重奏曲ハ長調」

第9夜「クラヴィーア四重奏曲変ホ長調」

第10夜「クラヴィーア四重奏曲ニ長調」

第11夜「ロマンツェ・カンタービレ」

第12夜「三重奏曲卜長調」

第13夜「プードルの死に寄せる悲歌」

第14夜「リギーニのアリエッタ〈愛よ来たれ〉による24の変奏曲」

第15夜「ヴァイオリン協奏曲 ハ長調」

第16夜「ピアノ・ソナタヘ長調」

第17夜「スイスの歌による6つの易しい変奏曲」

第18夜「ヴァルトシュタイン伯爵の主題による4手のための8つの変奏曲」

第19夜「ピアノ三重奏のための《アレグレット》変ホ長調」

第20夜「アリア《キスの試練》」

第21夜「アリア《娘たちと仲良く》」

第22夜「ミンナに」

第23夜「6つの歌(ゲザング)第3曲:蚤の歌」

第24夜「歌曲《嘆き》」

第25夜「皇帝ヨーゼフ2世の死を悼むカンター夕」

第26夜「皇帝レオポルト2世の即位を祝うカンタータ」

第27夜「8つの歌曲(リート)第1曲《ウリアンの世界旅行》」

第28夜「弦楽四重奏のための《メヌエット》変イ長調」

第29夜「8つの歌曲(リート)第6曲《愛》」

第30夜「8つの歌曲(リート)第7曲《マルモット》」

第31夜「8つの歌曲(リート)第8曲《小さな愛らしい花》」

第32夜「バレエ音楽《騎士バレエ》」

第33夜「喜びの手もてグラスをあげよ(別れの酒の歌)」

第34夜「ポンス(パンチ)の歌」

第35夜「ピアノ三重奏曲(第9番)変ホ長調」

第36夜「ひとりごと」

第37夜「モーツァルトのオペラ《フィガロの結婚》のアリア〈もし伯爵様が踊るなら〉による12の変奏曲」

第38夜「ピアノとヴァイオリンのためのロンド ト長調」

第39夜「ラウラに」

第40夜「自由な男」

第41夜「ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調」

第42夜「ピアノ三重奏のための14の変奏曲(第10番)」

第43夜「ディタースドルフのジングシュピール《赤頭巾》のアリエッタ〈昔ひとりの老人が〉による13の変奏曲」

第44夜「2本のフルートのための二重奏曲」

第45夜「八重奏曲 変ホ長調《パルティア》」

第46夜「8つの歌曲(リート)第2曲《炎の色》」

第47夜「木管五重奏曲 変ホ長調(オーボエ、3本のホルン、ファゴットのための)」

物語を書いた人
新井鷗子
物語を書いた人
新井鷗子 クラシックコンサート構成作家

東京都出身。東京藝術大学楽理科および作曲科卒業。クラシックコンサート、テレビの音楽番組の構成・監修を手がける。1998年NHK音楽教育番組「わがままオーケストラ」の構...

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